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動物遺存体からみた動物利用

 居家以岩陰遺跡では灰質土の存在により、きわめて保存のよい状態の動物遺存体が多量に検出された。すべての分析を完了できていないものの、同時期の長野県栃原岩陰遺跡や湯倉洞窟遺跡との共通点もみえてきた。ここでは、第4次・第5次調査の資料を中心に、本遺跡における動物利用の概要を紹介する。

居家以岩陰遺跡で出土した動物遺存体

 本遺跡では微細遺物も残さず採集するため、肉眼による採取法と全土壌を乾式篩や水洗選別で採取する方法が採られている。第4次・第5次調査で回収された動物遺存体42,203点のうち、同定標本数(NISP:Number of Identified Specimens)は5,158点(岩陰部1,929点、前庭部緩斜面3,223点、出土地不明6点)であり、前庭部緩斜面が全体の約63%となった(図1)。

図1 第4次・第5次調査で同定できた動物遺存体数(NISP)の割合

 同定標本の内訳は、貝類1,900点(細片含む)、甲殻類1点、魚類7点、両生類404点、爬虫類4点、鳥類485点、哺乳類2,327点、脊椎動物30点であった。破片の多い貝類を除くと、哺乳類(71%)が圧倒的で、鳥類(15%)・両生類(12%)も多かった。動物種は、巻貝類10科15種、二枚貝類5科6種、ツノガイ類1科3種、カニ類1科1種、魚類3科4種、カエル類1科3種以上、ヘビ類1科1種、鳥類6科7種、哺乳類13科22種の計62種が同定できた。

動物の生息環境からみた本遺跡の動物相

 遺存体を生息環境別にみると、淡水産がカワニナ、カワシンジュガイ、イシガイ科、サワガニ?、コイ科、サクラマス(ヤマメ)?、サケ属、カモ亜科、カワネズミ?の9種(約14%)、汽水産がヤマトシジミの1種(約2%)、海産がメダカラ?、イモガイ科、サルボオ属、フネガイ科、ハマグリ、ツノガイ、ヤスリツノガイ?、ヤカドツノガイ、カマス科の9種(約14%)で、他の43種(約70%)は陸産動物であった。過去の結果を総合すると、幅広い環境を含む動物相をもつことがわかった(表1)。

表1 生息環境からみた動物遺存体の構成について

多く利用された動物とその利用法

 もっとも多く利用されたのはニホンジカとイノシシで(図2)、これらは全身骨に人為的破砕痕があることから、縄文人により徹底的に利用されたようだ(図3・4)。骨に残る痕跡にはニホンジカの胸椎に石鏃が刺さった痕、四肢骨から骨髄を摘出したスパイラル・フラクチャー(骨が新鮮な時に割って生じる螺旋状割れ)、筋肉や腱などを切断したカットマーク、利器の製作過程でついた打撃・剥離痕、焼かれて変色した被熱痕、食肉目や齧歯類の咬痕などがある。

図2 岩陰部(左:NISP=962)および前庭部緩斜面(右:NISP=2296)の脊椎動物構成比

図3 前庭部緩斜面の獣骨集中層(左)と石鏃が刺さった痕跡のあるニホンジカの胸椎(右)

図4  破片として出土するニホンジカ(左)とイノシシ(右)

 次いで多かった鳥類は8割以上がキジ科であり、中型のキジ科は草原や森林に棲む留鳥のため周年の利用が、カモ亜科は内水面に飛来する冬季に利用した可能性が想定される。3番目に多かったヒキガエル属を含むカエル類は、前庭部緩斜面で圧倒的に多く、とくに10層(押型文期)から約73%が出土した。栃原岩陰遺跡では早期前半期にヒキガエル属が圧倒的で食用と推定されたが、本遺跡のカエル類にも被熱痕があり食用の可能性がある。真無盲腸目(トガリネズミ科)や齧歯目(ネズミサイズ)などの小型哺乳類にも被熱痕はあり、居家以人は小型動物を含む多種多様な動物を利用したと推定される。その一方、近くに白砂川が流れ、釣針や同未成品は出土したものの、魚類遺存体は7点と少なかった。人骨の炭素窒素安定同位体分析によると、居家以人の主食料は陸上資源で海産物の寄与はないとの結果と整合的である。しかし、千曲川水系の湯倉洞窟遺跡や栃原岩陰遺跡で多く出土したサケ属・科が、利根川水系の本遺跡でも1点出土したことは重要である。今後の展開が期待される(図5)。

図5  貝類・魚類・両生類(左)および鳥類・中小型哺乳類(右)

持ち込まれた海産・汽水産動物および製品の特徴

海産・汽水種が約16%と高かったことも、本遺跡の大きな特徴である。海産貝類はメダカラ?とハマグリを除きすべて加工品であり、体長1m以上のカマス科の顎骨にも加工痕があった。本遺跡の第2次・第3次調査ではイタチザメ属?の歯が出土したが、栃原岩陰遺跡(アオザメ歯加工品)や湯倉洞窟遺跡(ヒラメ脊椎骨)でも海産魚が出土した。本遺跡の場合、海産類の大半は岩陰部から出土したため、埋葬に関係した製品(品物)として持ち込まれた可能性もあろう。
 貝類製品(216点)や骨角牙製品(97点)も出土したが(図6)、最も多いのはビーズ製品であった。とくに注目されるのは化石のヤスリツノガイで、その産地は神奈川県三浦半島である可能性が推定された。栃原岩陰遺跡では放射性年代測定で4万年前以上のツノガイが発見されたが、化石利用の点でも本遺跡と共通する。また、メダカラ?の発見により、黒住耐二らが提唱する縄文早期の「ツノガイ類・タカラガイ類・イモガイ類の3種セット」が本遺跡でも確認された。
 以上のように、居家以岩陰遺跡の生活様式は栃原岩陰や湯倉洞窟遺跡と類似することがわかってきた。今後もさらに生業に関する研究を進める予定である。

図6  貝製品(左)と骨角牙製品(右)

山崎 京美
黒住 耐二
江田 真毅

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