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早期縄文人の生活復元

遺跡形成の変遷

 これまでの発掘調査で出土した土器群の中では、縄文早期の出土量が圧倒的に多い。時期別では早期中葉の押型文土器・沈線文土器、早期後葉の条痕文土器の出土量がとくに多い(図1)。早期前葉ないし草創期の表裏縄文土器・回転縄文土器なども、発掘の進捗に連れて出土量が増えてきている。
 縄文早期中葉の押型文期には、最も多くの遺物が残されるとともに、大量の灰の形成と動物骨の廃棄が行われており、岩陰が狩猟活動のベースキャンプとして利用されていたことがうかがえる。出土した石器の中で石鏃が圧倒的に多いことも、狩猟活動の活発さを物語っている(図2)。

第1 次~第7 調査出土縄文土器
時期別・早期分類別
早期中葉 押型文土器
早期中葉 沈線文土器
早期後葉 条痕文土器

図1 居家以岩陰遺跡出土 縄文時代早期の土器群

図2 居家以岩陰遺跡出土 縄文時代の石器群

 続く沈線文土器の時期にも、灰層の形成を伴う活動痕跡が累積しているが、押型文期の様相とは形成パターンが異なり、比較的薄い灰層・炭化物層・砂礫層が交互に堆積するようになる。押型文期から沈線文期にかけて、土器型式の交代とともに人々の行動パターンと岩陰利用に変化が生じた可能性がある。
 早期後葉の条痕文期になると岩陰の利用目的が変化し、主に埋葬地として利用され、多数の人骨が密集して埋葬された。早期以降の土器群では、前期前半の回転縄文土器、前期後半の諸磯式土器の出土量が比較的多い。前期にも少数の埋葬人骨の出土があるが、岩陰の利用頻度は減り、前期後半には灰層の形成もほとんどなくなる。それ以降も中期後半(加曽利E式・郷土式土器)、後期前葉(堀之内式土器)、晩期後半(浮線網状文土器)、弥生時代などに断続的に利用されていた痕跡が残るが、遺物出土量は断片的となる。

早期縄文人集団の動植物資源利用

 早期中葉・押型文期の約10,000 年前に形成された人為的灰層から、土壌篩別法(乾篩法・水洗選別法・フローテーション法)によって微細遺物を含め人工遺物と動植物遺存体を徹底的に回収し、植物考古学的・動物考古学的分析により、早期縄文人の資源利用、生業活動、食生活の復元に取り組んでいる(図3・4)。

図3 土壌水洗選別・フローテーションによる微細遺物の回収

図4 土壌水洗選別で回収した動物骨と骨角器( 左: 岩陰部出土・右: 前庭部出土、第8 次調査)

 回収された植物種子は、実体顕微鏡および走査型電子顕微鏡を用いて植物形態学的に種同定し、植物資源の食利用を検討している。また、早期の土器に残る植物種子圧痕の同定もあわせて行っている。出土した炭化種実の同定からはクリ・コナラ属の堅果やオニグルミの利用頻度が高いことがわかるが、堅果類のほかにイヌビエ、ダイズ、アズキの野生種など、のちの栽培化につながる種の利用が始まっていた事実が突き止められてきた。

 動物遺存体に関しては、第5次調査までの出土資料の分析の結果、陸産・淡水産・海水産貝類24種、淡水産カニ類1種、淡水産魚類4種、カエル類3種、ヘビ類1種、鳥類7種、哺乳類22種が同定されている。全体的特徴として在地性のニホンジカ、イノシシ、キジ類、中小型陸生動物を中心とした動物組成をもつ。主な狩猟対象獣であるニホンジカとイノシシの骨には解体・加工痕が残るものが多く、食用や皮革利用、骨角器製作の素材として計画的に利用されたと推定される。その他、カエル類やネズミ類などの小型動物も含めて多様な動物資源を利用していたことがわかっている。一方、魚骨の出土量はきわめて少なく、水洗選別による篩掛けで回収した微細遺物の分類でも稀にしか見つからない。カワシンジュガイやイシガイ科などの利用はみられるものの、河川での漁撈活動は低調であった。陸産微小貝類はオカチョウジガイやヒメコハクガイなど12 種が同定されている。これらは遺跡形成当時の景観復元に役立つ。
 また、条痕文期の埋葬に関連するものとして、海産貝・サメ歯製の装身具が出土している。ツノガイ製・イモガイ製のビーズ類が多い。化石ヤスリツノガイの産地は神奈川県三浦半島と推定される。

早期縄文人の生態行動

 早期縄文人集団の行動領域を検討するため、蛍光X 線分析法により黒曜石資料の産地推定を行った結果、早期の各時期を通じて小深沢産(和田峠系)と星ヶ塔産(諏訪系)が多数を占めることがわかった。本遺跡を形成した集団の行動領域が60 km 以上離れた黒曜石産地周辺にまで及んでいたことを示している。

 縄文早期の行動パターンと遺跡形成の時期的変化も明確となってきた。早期中葉の押型文期には多量の灰層形成を伴う活発な活動痕跡が残り、岩陰をベースキャンプとした狩猟活動が活発に行われた状況を示している。また、押型文土器の型式・胎土や黒曜石産地分析から長野県地域との往還が推定された。しかし、次の沈線文期には灰層の形成は低調となり、土器型式の地域性が強まり、獣骨の出土量も減少する。早期後葉になると、東北地方の槻木下層式(つきのきかそうしき)土器や関東地方南部の野島式・鵜ガ島台式土器などがもたらされるとともに、岩陰内が埋葬地として利用されるようになり、ツノガイ製・イモガイ製のビーズ類などの搬入品から南関東方面の海岸部との交流の証拠もみられるようになる。こうした遺跡形成の変化は、狩猟への依存度の高い内陸山地型の生活パターンから、海進期の貝塚形成にみられる平野部での生活パターンへの長期的変動に関連していると考えられる。

谷口 康浩

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