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居家以岩陰遺跡の概要

居家以岩陰遺跡のロケーション

 居家以(いやい)岩陰遺跡は北緯36 度33 分28.29 秒・東経138 度38 分50.25 秒、群馬県北西部の吾妻郡長野原町貝瀬地区に位置する。群馬・長野・新潟三県にまたがる上信越山地の南縁部にあたり、岩陰部分の標高は649m。長野原町の北西には草津白根山(2171m)、南西には浅間山(2568m)がそびえ、町内には王城山(1123m)や高間山(1342m)など標高1000m 以上の山々が点在している。水系では利根川水系の吾妻川流域にあり、吾妻川支流の白砂川流域に位置している(図1・2)。

図1 居家以岩陰遺跡の位置
図2 居家以岩陰遺跡と周辺の地形

 この岩陰は、王城山の西麓を流れる深沢が溶結凝灰岩の露頭を浸食して形成したもので、岩陰部分および前方の緩斜面に遺跡が形成されている。付近には6か所の岩陰が地表面上で確認されているが、そのうちの第1岩陰で発掘調査を行っている。第1岩陰は現状で幅約20m、高さ約6m、奥行き約4mの規模で南東方向に開口する。岩陰の前面には斜度約15度の緩斜面が広がり、「前庭部緩斜面」と称している(図3)。

図3 居家以岩陰遺跡の景観

 居家以岩陰遺跡には、縄文時代早期を中心に頻繁に利用されたことを示す活動痕跡が残されている。縄文早期の集団がここを活動拠点に選んで利用したのは、その立地条件のよさにあったと考えられる。白砂川を約20kmさかのぼると、群馬・新潟県境となっている分水嶺の稜線に容易に取りつくことができ、野反湖(旧火口湖の湿地に造られた人造湖)から新潟県側に流れる中津川の谷筋を下ると、秋山郷を経て信濃川河岸段丘のジオパークがある新潟県津南町に入ることができる。吾妻川の本流筋へも約2kmの近距離であり、吾妻川をさかのぼれば信越国境の高原地帯を経て長野県の上田盆地・佐久盆地へと越境が可能である。また、吾妻川に沿って下流に向かえば、利根川の谷筋に沿って関東平野へと進入することができる位置にある。上信越国境の稜線や吾妻川水系が作り出す谷筋は、縄文時代においても重要な移動ルートとして利用されたと考えられる。居家以岩陰遺跡のこうしたロケーションは、山地・高原を生活圏としながら地域間を往来した縄文早期の人びとにとって、有利な立地であったにちがいない。

居家以岩陰遺跡の年代と遺物包含層

(1)居家以岩陰遺跡の考古年代

 縄文時代から弥生時代にわたる多くの時期の遺物が出土しているが、縄文時代早期(約11,300~7,200年前)の遺物が最も多い。早期中葉の押型文土器・沈線文土器、早期後葉の条痕文土器の出土量がとくに多く、早期前葉の回転縄文土器・表裏縄文土器・撚糸文土器・無文土器も出土している。出土した早期の土器は7,000点以上(2023年現在)に上り、押型文系の樋沢式・細久保式、沈線文系の三戸式・田戸下層式・貫ノ木式・判ノ木山西式・上林中道南式、条痕文系の子母口式・野島式・鵜ガ島台式や、これまでに類例のない新発見の型式など多様な土器群が含まれる。これらの出土土器は、上信越地域における早期土器群の重要な標本資料となるものである。

(2)層序と遺物包含層

 岩陰部分(雨垂れラインの内側)、岩陰前面のテラス部(現状道路)、岩陰前方の前庭部緩斜面の3か所に発掘調査区を設定し、発掘調査を進めている。発掘面積は岩陰部約24㎡、テラス部4㎡、前庭部緩斜面約27㎡である。

 岩陰部分の層序は、表層(現代遺物包含層)、第Ⅰ層群(褐色土:縄文前期~晩期包含層)、第Ⅱ層群(灰質暗褐色土:縄文早期・前期包含層)、落盤礫層(無遺物)、第Ⅲ層群(灰質褐灰色土:縄文早期包含層)に大別される(図4)。このうち第Ⅱ層群の灰質土中から、後述する縄文早期の埋葬人骨が密集して出土している。岩陰内に堆積する灰質土層は、pH 測定の結果から弱アルカリ性であること、X線回析から方解石(炭酸カルシウムCaCO3 の結晶)を主成分とすることが明らかとなっており、炭素同位体比からC3 植物を燃やした木灰が堆積した土層と考えられる。

図4 岩陰の土層堆積状態

 前庭部緩斜面のトレンチでも、獣骨・植物種子・炭化材などの有機物と灰を多量に含む灰質褐色土(早期中葉、厚さ1m以上)が確認されている。この灰質土層(10層)から出土する土器は山形文・楕円文を含む押型文土器が主体である。7枚の層の重なりが見られるが、各層出土炭化材の14C年代測定値は8965~8863 BPの範囲に集中し、その較正年代は10,200~9700 cal BPの年代域に絞られる。押型文土器の時期に形成された約1万年前の生活廃棄物層と推定される。前庭部緩斜面の発掘調査では、灰質土中に包含された多量の動植物遺存体を収集するとともに、これまでに約9800ℓの土壌水洗選別(篩掛け・フローテーション)を行い、1mm 以上の微細遺物をすべて回収した。これらの出土遺物は、本遺跡を形成した早期縄文人集団の動植物資源利用や環境適応を具体的に明らかにする貴重な資料となる。

谷口 康浩

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