研究目的
この研究プロジェクトは、群馬県長野原町にある居家以(いやい)岩陰遺跡を研究対象として進められている学際的な共同研究である。居家以プロジェクトの研究目的は、縄文文化形成期における半定住狩猟採集民たちの社会・生態・文化の実態を、岩陰遺跡に残された人骨、遺物、動植物遺体の分析に基づいて実証的に解明することである。縄文時代初期のヒトの姿と集団構成を復元するとともに、居家以人たちの生業と動植物資源利用、居住・行動システムの復元を目指している。
居家以岩陰遺跡には、縄文時代から歴史時代にわたって繰り返し利用された証拠が残されているが、発掘された各時期の土器群の中では縄文時代早期の型式が圧倒的に多く、縄文文化の形成期にあたる早期に最も活発に利用されたことが分かる。縄文早期(約11300~7200年前)は、地質年代では完新世の初頭にあたり、温暖化が進み、豊かな自然環境の中で縄文文化が形成されていった時代である。しかし、まだ定住化の途上にあり、山地に点在する洞窟・岩陰が頻繁に利用されたのをはじめ、山間部や高原地帯に数多くの遺跡が残された。居家以岩陰遺跡もそのような山地の洞窟・岩陰遺跡の一つである。
縄文人は食料獲得と資源利用のさまざまな技術をもち、多様な環境への適応力を深め、海岸部から山地にわたる広い地域に遺跡を残した。海岸や平野部での生活の様子は、貝塚遺跡や集落跡に残る豊富な資料によって詳しく調べられているが、山地帯における生活の実態や洞窟・岩陰の利用目的は、実はまだよく分かっていない。更新世末から完新世初頭への劇的な自然環境の変化に日本列島の人々はどのように適応し「縄文文化」という新たな生活文化を確立させたのだろうか。縄文文化の成立の理由を究明するためには、そのような山地の考古学的データが不可欠であり、洞窟・岩陰遺跡の調査研究はとくに重要な学術的意義をもつ。
居家以岩陰遺跡には縄文早期の人骨が数多く埋葬されているほか、当時の生活廃棄物を包含する人為的な灰層が堆積しており、動物骨・植物種子などの有機質遺物が良好な保存状態で残されている。タイムカプセルのような理想的な調査対象といえる。本プロジェクトでは、考古学、人類学、動物学、植物学、年代学、分析化学などが連携する研究組織により、次のような研究課題に重点的に取り組んでいる。
1)早期縄文人と社会組織:身体・遺伝学的特徴、個体間の血縁関係、性別年齢構成
2)健康状態と生活史:個体の健康・病気、食生活、出身地と移動などの個体生活史
3)生業と居住形態:動物・植物の利用技術、生業活動、居住形態、行動領域
4)物質文化と精神文化:土器の用途、石器の技術、装身具、葬制
本研究の背景となる問題関心は、更新世から完新世への環境変動に対する人類の適応と、縄文文化の起源・形成過程に関する問題の究明にある。縄文文化の起源あるいは縄文時代の始まりについては、未解明な問題が多い。縄文人の起源・系統、土器文化の起源、初期の土器の機能・用途といった基本的な問題でさえ、真相は不明のままである。本研究プロジェクトは、行動拠点である岩陰遺跡に残された考古遺物と食料残滓の動植物遺体、人骨の総合的な分析に基づいて、縄文文化形成期の人間集団とその生態、社会、文化を具体的に明らかにすることを目指している。
谷口 康浩